携帯電話を持たない日を始めています
お茶ノ湯博士 | 2013年12月3日利便性と弊害
iPhoneやAndroid系スマートフォン、タブレットが発売されて、またたく間に世の中の風習が変わってきた。
例えば、電車内や路上でスマートフォンを見ることが、習い性となっている。
いつでもどこでも、「必要な情報を手に入れ」、「人とつながる」ことができる、革命的なアイテムが携帯電話やスマートフォンだ。
一方では、弊害として「パソコン依存症」といわれていたものが、「ネット依存症」へと変わってきた。
一度使い始めればやみつき、若年層ほどスマートフォンを手放して行動ができなくなる。
まだ、自制をコントロールできない頃から、依存性の強いものを自由にできるようになると、生活に様々な弊害を及ぼすようになる。
コミニュケーションのソフトで代表的なものは、Line。
一度Lineを使い始めると、寝ている以外スマートフォンを常にチェックしないとイケない生活が始まってしまう人も少なくない。
こうした便利アイテムは、利便性を生む一方弊害もある。
携帯電話を自宅に置いて外出
スマートフォンに依存してしまう年齢は、若年層に限らず中高年にまで及ぶこともある。
私は携帯電話とスマートフォンの2つを持っている。
通勤では事前にスマートフォンを必要とする以外は、携帯電話だけもっていく。
今までスマートフォンの必要性がなかったため、結局持ち歩く機会はほとんどなかった。
(スマートフォンが本当に必要かどうか、見極めるために2千円程度の中古スマートフォンに定額490円通信費と固定費0円の050電話の契約をしている)
近頃、週末だけ時々携帯を自宅に置いて出かけている。
(一般の人には懐かしいテレフォンカードをもっていく)
携帯はリビングに置いて、鳴ったら家族の誰かが出るようにしている。
最初の頃は「えっ」という、かけてきた人が戸惑う様子だったらしい。
(本人が出るつもりでかけているのだから)
「集まっている会では、携帯持ち込み禁止になっているので、伝言があれば伝えます」という対応をしてもらっている。
今では土日の日中に、ほとんど電話がかかってこなくなった。
普段はメールで連絡があり、大事な要件や週末の要件は平日の夜に電話がかかってくる。
今や海外でも、スマートフォンを自ら抑制している
海外のセレブの間で次のようなことが起こっている。
食事中、全員のスマートフォンをテーブルの真ん中に積み上げる。
スマートフォンが鳴って、つい出てしまった人は、全員の飲食料を出すという。
スマートフォンは、人と人とのつながりをもたせ、災害時にも必要性が謳われている。
スマートフォンを持っていることから生まれる知恵、持ってないことから生まれる知恵、節度ある使い方で賢くなりたいものだ。